静心なくお金飛ぶらむ

オタクの現場備忘録。内容と語彙がない。

超・極上GANKUTSU-O 2024.7.6-2024.7.7

7/6 超・極上ナゴヤカブキ『GANKUTSU-O -復讐の鎮魂歌-』公開ゲネプロ・夜公演@名古屋市芸術創造センター

7/7 超・極上ナゴヤカブキ『GANKUTSU-O -復讐の鎮魂歌-』昼公演・夜公演@名古屋市芸術創造センター

 

 

 遂に行ってきました、超巌窟王! 前回の極上公演に続き、今回もゲネプロを含めてたった四公演。悔いのないように見届けてきました。

 

 

 

~配役~

モンテ・クリスト伯爵:名古屋山三郎さん(以下「座長」)

ダングラール:名古屋参十郎さん(以下「ジューローさん」)

ジェラール・ド・ヴィルフォール:名古屋虎三郎さん(以下「トラザさん」)

プランシェ:名古屋参九郎さん(以下「サンキューさん」)

ムースクトン:名古屋参駄右衛門さん(以下「ダエモンさん」)

ルイジ・ヴァンパ:名古屋虎之助さん(以下「トラスケさん」)

ヤコポ:名古屋参永已さん(以下「サンエーさん」)

フェルナン・モンデゴ:名古屋参雀久さん(以下「サンジャクさん」)

アルベール:名古屋参史郎さん(以下「シロウさん」)

ピエール・ダンテス:名古屋山之助さん(以下「サンスケさん」)

メルセデス:趙知奈さん

エルミーヌ:加藤恵利子さん

ユージェニー:小椋奈々さん

アクションチーム:水谷健さん、MURA3さん、山本航大さん、伊藤楓人さん

モンテ・クリスト合唱団:岡本唯さん、櫻井カスミさん、竹田紗和さん、服部黎華さん、松本萌花さん、森田梨央奈さん、山田麻里名さん

モンテ・クリスト室内オーケストラ:朝倉ゆきさん、滑川敬一さん、宇井智美さん、丹沢絵美さん、小林真裕美さん、和泉麻里さん、宇野伊世さん

 

 

モンテ・クリスト伯爵(エドモン・ダンテス)

 「モンテ・クリスト伯爵」(以下「MC」)は復讐の代名詞だと思います。だから、今作で他者に影響されて復讐を果たせなかったことが悔しいというのが、率直な気持ちでした。「モンテ・クリスト伯」のアイデンティティは復讐心だと思っているからです。どうして復讐を完遂してくれなかったのだろう、とずっと考えているのですが、MCから「エドモン・ダンテス」に戻ってしまったからかもしれません。エドモン・ダンテスは気の良い青年で、すぐに騙されてしまう。モンテ・クリスト島にピエールが来て、ファリア司祭との思い出を呼び覚ませます。ピエールもファリア司祭も、絶対に自分をMCとは見てくれません。だからMCではいられない。エドモンのままでは復讐はできない。エドモンは復讐が間違っていることだと気が付いてしまうから。それだけのことだったのかも……。

 

復讐とは、心に芽生えたら最後、後生大事に抱(いだ)き続けて突き動かされるのに、

一度そんなものは間違っていると気づいたら、

なんてちっぽけで、つまらないものなのだろう。

 最後のエドモンのこの台詞、私は復讐を遂げてほしいという気持ちで観ていたため、「正気に戻るな!」と何度も思いましたが、ふと虚しさに気が付いてやめてしまうのはとても人間的だなと思いました。

 

 

ピエール・ダンテス

 正直なところ、改変の多い「GANKUTSU-O」というシリーズの中で一番疑問だったのがピエールの存在でした。それは、単に原作にいないからというよりは、ピエールがいると破綻するのではないか、と思ったからです。原作のエドモンは父親と二人暮らしで、だからエドモンが投獄されてから父親が結果的に絶食して死んでしまうという話でした。そこにピエールが存在していると、エドモンを失った後の父親やメルセデスの悲しみが軽減されてしまうからです。でも、この復讐劇に鎮魂歌を捧げるためには、MCからエドモンへ引き戻す機構が必要だったのだろうな……。もしピエールがいなければ、MCは復讐から逸脱して、直接ヴィルフォールやダングラールの命を奪っていたと思います。

 ピエールは、もう一人のエドモンでした。ヴィルフォールやダングラールを追い詰めはするものの、あくまで法の下に正当で、直接危害は加えません。『GANKUTSU-O -復讐の夜明け-』(以下「夜明け」)エドモンを演じていたサンスケさんだからこそのピエール・ダンテスだったと思うし、ピエールの役作りもひょっとするとほとんど「夜明け」のエドモンだったのではないかなと思いました。ピエールが裁判でヴィルフォールを裁こうとするところ、原作のMCと重なって見えて好きでした。

 メタ的な視点では、台本の段階ではラストシーンでかなり「ナゴヤ座」に言及していたため、このシーンは座長とサンスケさんでなければならなかったのだろうなと思いました。

 

 ピエールは僅かな手掛かりから兄の事件はヴィルフォールとダングラールによって仕組まれた冤罪だったと見抜いていて、この捜査力があれば冤罪であることを証明するまで何年も掛からなかったのではなかろうかと思いました。でもピエールが警察官になってマルセイユからパリまで出てある程度自由に捜査できるようになるまでここまで時間がかかったのだとしたら、さもありなん……。

 

 

ムースクトン

 ムースクトンはこの作品の中で一番何を考えてMCについてきたのか作中で描かれておらず、謎多き男という印象があります。でももしムースクトンという凄腕の噂を聞いたMCが自分の戦力に加えるために引き込みに来た時にMCに惹かれてついていくことに 決めたのであればとても可愛いなと思います。原作のヴァンパやヤコポみたいなポジションがムースクトンたちだったのかな。

 それでもムースクトンがどういうキャラクタなのかをちゃんと想像できる芝居をしておられて凄いなと思いました。もちろんその辺りは脚本の書き方の巧みさでもありますが。あと武器である長剣はダエモンさん発案というお話を聞いて、キャラクタ性を示すのがお上手だなと舌を巻きました。

 

 二日目の昼公演のラストシーンで、エドモンの後ろにファリア司祭が出てこられた時は驚きました。でも千穐楽で最初にヴィルフォールが出てこられた時は更にびっくりして、危うく声が漏れるところでした。

 あのラストシーン、本番三公演とも演出が異なっていましたが、私は千穐楽が一番演劇的で好きでした。今回、舞台セットがとてもシンプルだからこそ観客の想像に委ねられている背景がとても多かったのですが、舞台上に構成された画があまりにも美しく、これが芸術なのか、と思いました。

 

 

プランシェ

 MCがどうして「エドモン・ダンテス」を知る人物を仲間に加えたのか分からなかったのですが、座長のXのポストを拝見してなるほど、と思いました。裏設定、本当にありがとうございます……。

 私は典獄のことが割と好きで、それはエドモンに対して近しさを感じていたからです。イフ島の監獄の中で、二人はどちらも亡霊でした。だからこそ典獄もエドモンに真実を伝えていたのではないかと思います。

 プランシェは典獄時代から簡単に金銭で買収されていたものの、エドモンに対しては「思えば私も随分酷いことに手を貸したもんだ。実際、彼のいうとおり無実だったんだろうな。」という台詞の通り後悔があったからこそ、MCの正体を知った後も手を貸していたのかな。MCがエドモンだと知った後も「旦那様」と呼んでいたプランシェが好きでした。もう典獄と囚人の関係じゃないもんね。

 

 サンキューさんは場を軽やかにするのがとてもお上手だなと思います。もちろん重い芝居には重い芝居の良さがある方ですが、この「GANKUTSU-O」のような重たい作品だと、サンキューさんの軽やかさが活きていて良かったです。台本にはプランシェの台詞に笑いをとるところがありましたが、それをカットしても別のところでしっかり笑いをとっておられて見事な腕前だなと思いました。

 

 

ヴィルフォール

 台本を受け取ってすぐに読んだその時から、ヴィルフォールが錯乱するシーンが好きです。ヴィルフォールは一幕でその正義感の強さと高潔さが描かれていたと思います。だからこそ、過去の罪の露呈と、死んだはずのエドモンの登場で精神が崩壊したヴィルフォールによる虐殺が映えて良かったです。二日目の昼公演の、錯乱したヴィルフォールがシロウさん演じる裁判長代理の頭を打ち抜いたところの表情が何故か他の回より圧倒的に美しく見えて、気が付けば涙が出ていました。他の回の配信ではそんなことはなかったのですが、この回は天を仰いでいたような気がします。

 ヴィルフォールはずっと髪をオールバックに整えておられましたが、このシーンからどんどん乱れていって、最後のモンテ・クリスト島では髪を搔き乱しておられたのがヴィルフォールの破滅と重なって印象的でした。

 また、錯乱したヴィルフォールの立ち回りはどこか精彩を欠いているように見えて、それでいて残酷で冷静で、こんな立ち回りが観られたことは幸運だなと思いました。

 

 「GANKUTSU-O」におけるヴィルフォールは確かに王党派ですが、それよりも法への忠誠心が強いように感じました。原典のヴィルフォールは別段王党派という訳ではなく、権力がある側につく出世欲の塊であるため、余計にトラザさんの演じるヴィルフォールに妙な高潔さを感じます。それでありながら、出世への道が見えて欲が出てしまい、本来無実であるエドモンに罪を被せたのだろうと思います。

 そもそも、本来『モンテ・クリスト伯』はノワルティエの罪をもみ消すためにエドモン・ダンテスを投獄するというストーリーなので、ヴィルフォールがノワルティエを投獄した時点でエドモンに罪を着せる必要はなくなってしまうのですよね。ということはノワルティエも投獄するという改変は悪手だったのかもしれないな……、と今更ながら思いました。

 しかし、ここで必要のない罪をでっち上げたという意識がヴィルフォール自身にもあったからこそ、「参った!」とエドモンの復讐を受けることにしたのだろうなと思います。結局最後にダングラールと共にエドモンを刺しているから、二人は今後復讐の影に怯える必要はないのですが、もうパリに戻っても社会的立場は失ってしまっているので、どうやって生きていくのだろう、と考えると面白いです。

 

 これはどうでもいいところですが、冒頭のMC邸での社交界のシーンで、柱の間に挟まっていたヴィルフォールが「呼ばれたから来ただけなので」と言いたげな雰囲気で可愛くて大好きでした。

 

 

ヴァンパ

 は~~~~!? 口ピとか聞いてないですけど~~~~~!!?? 

 トラスケさんとピアスのお話をしてお口のピアス穴を見せていただいたのが『蒼ノ風』の時なので、あれから長いことピアス穴を観測してきたおたくなのですが、突然ピアスをつけられると混乱するということを学びました。初日全然見えていませんでしたが。

 ヴァンパは「夜明け」でもところどころ頭が切れる様子はありましたが、ヤコポに取り分を交渉されていつも負けていた印象もあるため、今回明確に盗賊団の頭領として多くの部下を率いていたのが好きでした。かといって部下たちと距離が遠いわけでもなく、親しみやすく良い親分なのだなと思いました。

 

 ピエールによる尋問の際にイフ島での出来事を話すヴァンパが、トラスケさんがファリア司祭も演じておられるからこその再現率でとても好きでした。こういうシンクロはナゴヤ座のシステムがあるから起こり得ることで良かったです。

 ヴァンパとヤコポは「ナゴヤ座らしさ」の部分を担っていることも多く、これが座員の皆様が仰っていた安心感か、と納得でした。

 

 

ヤコポ

 海賊時代よりマイルドになった性格のヤコポでしたが、「夜明け」から地続きの人物なのだろうな、と思えるヤコポでした。ヤコポは他の部下たちと違ってヴァンパの唯一の相棒でしたが、頭が悪いからか一人だけクイズを出される立場だったり他の部下たちにふざけられたりしていて、ヴァンパ一味の仲の良さを引き出していたなと思います。

 

 ヴァンパとヤコポはこのMCによる「復讐劇」の脇役ですが、脇役は脇役でも名脇役だったように思います。ヴァンパとヤコポがMC邸での舞踏会に乱入していなければピエールが捜査に乗り出すこともなかったかもしれないし、ピエールがこの件に関わってこなければMCは復讐を完遂したかもしれません。そもそもヤコポがイフ島でエドモンの殺害に成功していれば復讐劇は始まらなかったし、そう考えるとこのすべての物語はヴァンパ・ヤコポ次第だったのではないでしょうか。原作みたいにこの二人をMCが手札に加えていたら、MCの「復讐劇」もかなり違う筋書きになっていただろうな。

 

 

ダングラール

 どこまでも最低な悪役でありながら、神経質な弱者の面があったのが好きでした。やはりダングラールは「夜明け」でも言っているように野心と良心を併せ持つ人なのでしょう。野心の大きさと同じくらい良心もあるからこそ、陥れたエドモンの幻影に怯え苦しむことになるのだろうなと思いました。フェルナンに対して高圧的に出る一方、エドモンの幻影や名前を聞くだけで取り乱してしまう二面性が本当に好きでした。

 

 エドモンは復讐を途中でやめてしまいましたが、ダングラールはエドモンを自らの手で刺したことで幻影から逃れられるようになったかしら、とついつい考えてしまいます。ただ、死んだと思ったエドモンが生きていたという経験を二度している以上、例えモンテ・クリスト島で遺体を見たとしても幻覚に苛まれそう。

 あと腕を斬られたダングラールは『SAZEN2』を思い出しました。

 

 今回女性キャストはそれぞれ1曲ずつソロがありましたが、うち2曲をダングラールがもらっていて強いなと思いました。エルミーヌの曲で「夢を叶えて 船を降り」と歌われていましたが、この「夢」は船長になることだったのかな……。ダングラールの目標は何だったのだろう。ひょっとすると、明確な夢や目標があったわけではなく、ただ不安だから分かりやすい立場が欲しかっただけなのかもしれないな。

 元々ファラオン号の船員として海に出ていたダングラールが「パリで息継ぎもできず」と歌われていたところが良かったです。歌詞をください。

 

 

フェルナン

 フェルナンは『グランギニョル(「TRUMP」シリーズ)の登場人物か? と思うような絶望感に満ちた設定で大好きでした。台本を読んでいる時からこれを演じているサンジャクさんを早く観たいと思っていたのですが、実際に拝見したら想像以上に好きなお芝居が出てきて最高でした。

 前回の極上公演である『SAZEN2』の際に演じておられた碁吉でサンジャクさんの良さが存分に出ている役どころだなと思ったのですが、今回のフェルナンはサンジャクさんらしさとは違った良さがあり、本当に芝居がお上手だなと改めて思いました。

 

 フェルナンはいつメルセデスへの愛を失ったのでしょうか。元はエドモンを邪魔に感じるほどにはメルセデスのことが好きだったはずです。ひょっとすると、ダングラールが毎度メルセデスのことで強請ってくるから嫌気がさしたのでしょうか。「GANKUTSU-O」におけるフェルナンは正直なところ何もしておらず、エドモンが死んだと聞いたからメルセデスと結婚しただけなので、本当に可哀想な人物だったなと思います。

 

 議長と共にダングラールを追い詰めるシーンは、とても淡々としていて好きでした。アルベールを取り戻すために絶対に退かないという意思と、もうダングラールの言いなりにはならないという決意があったように見えました。

 ダングラールが言った「他人(ひと)の子のことを。」という言葉は結局のところ自事実でしたが、フェルナンは最後の「メルセデスしか知らねえよ、そんなこと!」という言葉は聞こえたのでしょうか。聞こえていなさそう……。フェルナンはメルセデスに裏切られていたのだと絶望して命を落としたのだろうと思うとますます可哀想になります。裏切られたも何も、最初から愛されたことはないので、「お前の愛したフェルナンは、死んだんだよ」という台詞もまったく意味がないのですが……。

 あとイフ島で起こったことの再現シーンでエドモンがサンジャクさんだったのが地味に嬉しかったです。まだ一日しか拝見できていないので、千穐楽までにもっと観たいです。

 

 

アルベール

 原作のアルベールが父・フェルナンのことを尊敬しているところが可愛くて好きです。シロウさんのアルベールも実際フェルナンのことが大好きでモンテ・クリスト島まで敵討ちに来る姿が、原作とは違うものの原作に通じているように感じて好きでした。

 一方でアルベールはメルセデスのことも大切にしていて良かったです。朝食の短いシーンで互いに愛のない両親に挟まれどうして良いかわからなくなっていることが立ち振る舞いを通じて分かって凄かったです。あの静かなシーンでモルセール家の関係が全て描かれているって凄いな……。圧倒的美の空間で好きです。

 

 アルベールはエドモンとメルセデスの子だと告げる歌で「オニキスの髪」や「琥珀の瞳」が座長とシロウさんの共通点なのだなと思えて好きでした。

 シロウさんの成長を拝見する度、私はおたくなのでシロウさんこそが座長の後を継ぐ人物ではないかと思います。私はずっと二代目から名古屋参太郎さんを見ていて、毎回今度こそ、と思ってここまで来たのですが、シロウさんは年々本当に後を継ぐのでへあないかと思わせてくださるので凄いです。

 

 アルベールは本当にエドモン・ダンテスとメルセデスの子なのだろうか、という点については台本を読んだ時からずっと考えています。

 エドモンが収監される前にできた子ということは、婚前交渉に当たります。1800年代のフランスはカトリックのはず。カトリックでは婚前交渉は禁じられています。

 エドモンは敬虔なクリスチャンの印象があります。神を信じるからこそ、「神なんていない」という発言になるのだと思います。だから、その真面目なエドモンが教えに背くことに違和感がありました。

 かといってフェルナンの子供かと言われると、フェルナンは本当に「種無し」であってほしい気がします。愛人が複数いるにも関わらず子が成せないということはフェルナン側に問題があるのは事実であろうと思うので。でももしフェルナンが二人目不妊だったら? 大切に育ててきたアルベールが自分の子ではないかもしれないという疑念を持ったまま死ぬことになって、可哀想で好きです。

 ということはやはり、アルベールはフェルナンとメルセデスの子供ではあるが、土壇場でメルセデスがアルベールを守るためにエドモンの子だと嘘を吐いたとする方が収まりが良くて(良いのか?)好きです。エドモンの子であれば日数が合わないことにどうしてフェルナンが気が付かないのかいう疑問が残るし、フェルナンの子であればどうしてエドモンがキリストの教えに背いたのかという疑問が残るので、私はエドモンの敬虔さを自分の中で大切にします。

 

 これは意図したものかそうでないのか分からないのですが、原作ではアルベールはユージェニーと許嫁の関係だったので、冒頭の舞踏会で二人が一緒に踊っていたのが可愛くて好きでした。

 

 

メルセデス

 メルセデスは原作でも唯一初対面でMCがエドモンであると見抜く存在です。だから初めて二人が邂逅したシーンでしっかりと気が付いていたのがとても嬉しかったです。

 「…人は人生に一度しか人を愛すことは出来ませんものね。」という台詞も面白いなと思っています。「人生に一人」ではなく「人生に一度」なのですよね。かつて婚約していた二人は、一度離れてしまったが故にもう元には戻れないと暗喩しているように感じました。

 

 私は実際のところはどうであれ、人を守るために土壇場で嘘を吐くことができる強い女性だと解釈することにしたので、その強かさが好きだなと思いました。

 

 

エルミーヌ

 エルミーヌは船乗りだった時代のダングラールを知っているようなので、きっと長いこと恐怖に震えるダングラールを見てきたのだろうと思いました。どうしてダングラールが怯えるのか何も分からないまま、ただ愛し支え続けたエルミーヌはとても素敵だと思いました。何かを隠していると分かっていながら聞かずにいるってとても大変だと思います。

 原作だと少々奔放な印象の女性だったので、「GANKUTSU-O」の世界で非の打ち所がない(ように見える)女性で良かったです。アンドレアが出てきたのはただ名前だけ……だと信じます。

 

 ダングラールは無事家族の元に戻ったのでしょうか。もし戻って来なかったのなら、あの後母娘がどうなったのか心配でたまりません。

 

 

ユージェニー

 一番何も知らないまま復讐劇に登場させられていたのはユージェニーのような気がしています。父が何に対して怯えているのか分からないまま何年も暮らしてきて、さぞかし不安だったのではないでしょうか……。

 

 ユージェニーの救いの道はダングラールが生きて戻ってきて過去の罪を全て告白することのような気がします。救われてほしいな……。

 

 

アクションチーム/モンテ・クリスト合唱団

 今までの極上公演と段違いで仕事が多かったように思います。個人的には『シンの明星』からの流れで山本航大さんと伊藤楓人さんのお芝居を拝見できたことが嬉しかった!

 モンテ・クリスト合唱団の皆様は初めて拝見する方ばかりで全然把握できなかったのですが、ヴァンパの手下たちの中でMURA3さんと仲が良さそうな手下がいたのが好きでした。

 

 今回アンサンブルのお衣装もいろいろあって、どれも可愛くて素敵でした!

 

 

モンテ・クリスト室内オーケストラ

 音楽はピアノを少し習っていた程度で全然詳しくないのですが、友人が限られた人数で最大限やってくださっていると言っていて確かになと思いました。

 

 千穐楽の時、幕間でオーケストラピットを覗き込む客があまりにも多く、友人が「生け簀みたい」と言っていたのがあまりにもツボでした。千穐楽は一階後方だったのですが、カーテンコールで見得を切る時にオヒネリ落下防止ネットを持ち上げてホルンが見得を切っていたのが面白かったことをここに記しておきます。

 

照明/舞台美術/演出

 繰り返しになりますが、今作はとても「演劇的」だなと思いました。とてもシンプルなパネルと少しの机と椅子で表現される空間に照明が加わって、時間や心象が映し出されているのがとても面白く、もっと間近に視界を切り取って観たいと思いました。

 ナゴヤ座らしさはほとんどない表現ばかりでしたが、この名古屋山三郎一座がこの作品の表現に挑んでくださったところを観ることができて嬉しかったです。

 

 

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 今週からはまたホームの円頓寺で『GANKUTSU-O -復讐の夜明け-』が始まります。復讐劇の行く末を見届けた今、「夜明け」を見てどう感じるのかがとても楽しみです!